遊びと教育の結びつき

みなさま、はじめまして。

「まなびやもも」で活動をしています。ゆとう先生こと、『ゆってぃ』です。

 

本日から月に1回を目標にブログを書いていくことになりました。

毎回変わるテーマ(今回は「遊び」がテーマ)と共に、僕の個人的な感想や、調べてきたことなどを書いていこうと思います。読んでくださるみなさまの貴重な時間を無駄にしないよう、何かを感じてもらえる文章を書けたらと思います!!

 

早速、このブログを書く人はどんな人か?というところから紹介していきたいと思います。

 

僕は湯藤真大(ゆとうまさひろ)。27歳。香川県高松市を中心に個人で家庭教師をしています。

まだまだ駆け出しですが、「日本一読書をする家庭教師」として、活動をしております。

僕は「本の感想を書くブログ」を作っていることから、こちらでもブログを書かせていただくことになりました。今回は最初ということで、僕がブログを書く上で大切にしていることを書きます。本づくりを手掛けている、尊敬する吉満明子さんの言葉です。

 

書くうちに、自分の心が整い、自己も他者も肯定できる。それが、本来の文章です。そんな文章が「伝わる」文章なのです。

 

「しずけさとユーモアを」 著者:吉満明子

 

 

この「しずけさとユーモア」という本は読者にそっと寄り添ってくれるような、吉満さんのお人柄がにじみでている本でした。

上記のように自己も他者も肯定し、伝わる文章を書きたい。そういう思いでこのブログも書いていく。これを書いている途中で改めてそう感じました。

 

初回ということで、もう少しテーマに関係ない話をさせてください。

 

今でも何となく感じたことを覚えている「ももに初めて行った日のこと」について書きます。

 

それは去年の3月のことです。自宅から50分ぐらいかけて少し汗をかきながら、自転車でももまで行ったことを覚えています。

事前に電話していたとはいえ、得体のしれない男が来るというのに、お二人は快く歓迎してくれて丁寧にもものことを説明してくださいました。

 

その時にえりこ先生から、ももを作った思いを聞きました。話を聞き、えりこ先生の笑顔やまなざしをみていると自然とこの人の近くにいると元気になり、ワクワクすることが次第に起こったり、起こしたくなるような、そんな人なのではないかと感じました。

 

たかひろ先生とはその日、多くを語った覚えはないのですが、物腰の柔らかさ、温かいまなざし、この人のことをよく知らないけど、とても信頼できてすぐに好きになりました。

 

そんな二人に共通するのは「あたたかさ、見守ってくれる、安心感」だと勝手に思いました。「こんな言葉がお似合いな二人のことを応援したい」という思いで、ゆとうはももに仲間入りしていきました。

 

実はまだ出会ってから一年もたってないのですが、もっと昔から一緒にいたような、そんな縁を勝手に感じるゆとうでした(笑)

 

 

そろそろ今回のテーマに入りますね(笑)

今月は「遊び」について。

選んだ理由は「教育」や「子ども」というワードの近くにいるような言葉だなと

直感で何かしらを感じたので、この言葉をテーマにしました。

 

■遊びってそもそも何だろう?

遊びといっても、意味が広いですよね。

なので辞書を引いてみました。

 

1 遊ぶこと。「遊びに興じる」

2 酒色にふけったり、賭け事をしたりすること。遊興。「遊びで身を持ち崩す」

3 仕事がないこと。仕事ができなくてひまなこと。「受注がなくて当分遊びだ」

4 物事にゆとりのあること。「芸に遊びがある」

5 機械などで、急激な力の及ぶのを防ぐため、部品の結合にゆとりをもたすこと。「ハンドルの遊び」

 

引用:デジタル大辞泉―小学館より

 

ここでテーマにしたいのは、特に1番の遊ぶこと。そこで遊びとは?についてもう少し調べてみるとどうやら遊びは3つの要素からできていることがわかりました。

それは、

・自分からすること

・満足するまですること

・「楽しい」という感覚など自分に報酬を与えること

です。

さらに、たまたま妻が保育に関わる資格である「子育て支援員」の勉強の真っ最中なので、妻に「子どもにとっての遊びって何?」と聞いてみると子育て支援員の勉強にあったと答えてくれました。どうやら、「乳幼児期においては生活のすべて」だそうです。

生活のすべて?と思いましたが、人格形成にもかかわってくるらしいのです。

「この生活のすべて」に疑問を抱いた僕はもう少しこれについて調べてみました。

そんな中で、遊ぶことは生きること。そんな言葉にも出会いました。いくつか紹介したいことを見つけたので、紹介しておきます。

「子どもの体験と遊び」という講演をされている方の記事に遊びの時に脳に起こることが書いてありました。以下は引用です。

 

大人は,赤ちゃんが器をひっくり返して,両手で撫で回し,その感触を感じている時の脳の状態に注意を払わなければならない。赤ちゃんに限らず,人間にとって初めての体験は,質のよい緻密なネットワークを形成する絶好のチャンスであり,新しいネットワークを作ることで脳の機能が高まることになる。 つまり,子どもが何かをするということは,五感を働かせて体験することであり,学習することであり,まさに生きているということである。大人から見たら無駄な「遊び」にしか見えない行いが,子どもにとっては脳の機能を高める重要な体験であり学習となっているのである。 大人になると「遊ぶ」ということは,何の役にも立たないことをしているという意味となる。しかし,子どもの側から考えると,遊んでいるのではなく,真剣に学び続けていることなのである。

引用:門脇 厚司 氏(筑波学院大学学長)の講演記事より

 

大人から見れば、遊びってストレス発散だったり、ただただ楽しむことだったりという気がしますが、子どもからすれば、遊ぶことって五感を最大限に使って「学ぶこと」のように思えてきました。

最後に真剣に学び続けると書いてありますが、学ぶと聞くと、どこか頑張らないといけないことや辛いことだと感じてしまうのですが、ここでいう学びってまさに「生きながら」やっていることなので、辛さとか頑張るということから無縁のものであり、だからこそ、子どもの遊びというものは計り知れないほどの効用があるのではないかと強く思わされました。

 

また、遊びを提供する「ボーネルンド」という会社は遊びと娯楽を明確に分ける考え方をしていて、面白いと感じました。以下は引用です。

「あそび」というと、「勤勉」「努力」の対義語として、「時間つぶし」といったニュアンスを感じる人もいるかもしれません。しかしそれはむしろ「娯楽」のことを指しています。

本来の「あそび」とは、子ども自身の“やってみたい”という動機から自発的に始まるリアルな体験であり、その結果として人を育んでいく過程です。

引用:ボーネルンド HPより

 

あそびと娯楽は違う。僕がこの記事に取り上げたかったのは遊びというよりこの「あそび」のことだったのだとこの記事に出会い確信に変わりました。

 

■子どもと大人の遊びの感じ方

子どもに関わる仕事をしているので、実際に生の意見を聞きたくて、大人と子どもが考える「遊びとは?」という質問を小、中学生と大人を対象に何人かにしてみました。

遊びとは?(大人)

・ストレス発散

・楽しめること

・楽しむためのこと

・ゲーム

・ワクワクすること

・子どもと遊ぶこと

 

遊びとは?(子ども)

・バスケ(部活)

・友達との距離を縮める。

・楽しいこと。

・自分が楽しめること。

・唯一楽しめること。

・お絵かき

・ゲーム

 

もちろん共通するところもあるのですが、大人の方が「娯楽」という感覚が強いのではないかと感じました。子どもの時は、五感をたくさん使って遊んでいたのに対し、大人になった僕の遊びの中には余力を感じる。人生で様々な経験をしていくうちに、遊びに対して、五感を使いきる必要がなくなってきているのかもしれません。そうするうちに「遊び」がだんだんと違う目的を持ち始めて、ストレス発散のための「娯楽」になっていくのかもしれません。

娯楽はもちろん楽しくて、大人にも子どもにも必要なものだと思います。それ以上に、娯楽ではない「あそび」をすることも必要に思います。子どもだけじゃなく、大人も。

 

■じゃああそびって?

この記事を書くうちに僕の中で「遊び」が「娯楽」と「あそび」に分かれました。

僕の中での具体的な「あそび」の記憶は、友達とゲームソフト(NINTENDO64のカセット)をカードに見立てて、そのとき流行っていた、遊戯王というカードゲームの真似事をして、「オレのターン!!ドロー!!」と全力でやり、カードの効果は自分で勝手に考えて「実質なんでもありのルール」でカード対戦をしたことです。その時は笑い泣きするほど友達と笑ったことをずっと覚えており、今でも、その友達とはその時の話で盛り上がります。

友達と楽しいという経験をまるごとすべて共有しきっている感覚。

あれは確実に「あそび」だったと思います。

 

「あそび」っておそらく、

自分の純粋に楽しいという感覚が内から湧き出てくる状態なのかなと感じました。

これを読んでいる皆様が皆様しか持ちえない「あそび」についての記憶を掘り起こされ、「懐かしいな」とか、今でも、「そんな気持ちになりたいな」と思ってくださることを信じて、そろそろ最後にしていきます。

僕が読んでいた記事に、

「結局のところ、大事なのはどんな遊びをするかではなく、遊ぶかどうか」だと書いてありました。

今の僕には、

「結局のところ、大事なのは、どんな遊びをするかではなく、あそぶかどうかだ」と思えました。

 

今回はこれにて終わりにします。長文となりましたが、最後まで読んでくださった方ありがとうございます。